新型コロナウイルスの騒動は、かなりのインパクトがあります。
一人ひとりのこころにも、大きな影響を与えています。
家族内ではともかく、職場でむやみに会話することを自粛する雰囲気があります。
いままで頻繁に会話していた人でも、お互いにマスクをしながら長い会話は、やはり避けるべきなのでしょう。
もともとあまり会話したくない人とは、ここぞとばかりに無愛想が許されるタイミングなのかもしれません(笑)。
不安感のなかでも会話したくない?
しかし、なんとなく不安感に覆われているなかで、無性に誰かと会話をしたくなります。もちろん気ごころ知れた人と会話をしたいのです。
これは、無意識のうちに自分の不安感を解消したいという思いが、行動になって現れている証拠かもしれません。
普段はあまり長々と会話したいと思わないのに、この自粛ムードのなかにいると、あれこれと会話したい気分になります。
相手には申し訳ないかもしれませんが、何かを発散したい気分です。
無意識の寂しさに気付く
この自粛ムードだから、精神的に少し不安定になって、とにかく会話したいという行動をしてしまう、とも思えます。
いや、今回のその感覚は、自分の「無意識」に気付ける機会かもしれません。
実は、そうとう「寂しがり屋」ではないのか、最近になって自分のことをそう思います。不安感の強い人間かもしれません。
一方、自分のなかには楽観者もいます。
いずれ騒動は元に戻ると考えている楽観者よりも、「不安」で「寂しい」気持ちを持った自分が増えたように思います。二重人格ではないですが。
寂しさを感じる自分に年齢なんて関係なし
年齢を重ねて中年を過ぎた大人がこんな弱音のような自己分析をすべきでないかもしれません。
でも、人間の本質なんて、しょせんは生まれたとき(受精したとき)に、ほとんど決まっているように思います。
社会に出て適応を繰り返しているうちに、本来の自分に気付かなくなってしまっているだけです。
無意識に気付かせてくれたウイルス
今回のコロナウイルス騒動は、世の中をガラリと変えるきっかけになりそうです。
その最中に、改めて自分を見つめ直すこと、もっといえば、自分にある気付いていない無意識に気付くことも、実は重要なのではないかと思っています。
少し心理学っぽくなりました。。。。。