朝の通勤時間に、小さい子を連れて会社へ向かう若いパパさんを見かけることが多くなりました。
数年前くらいから、こんな光景を見る機会が多くなりました。
今の団塊の世代からすると、少し信じられないのかもしれません。
でも、夫婦で働くことが当たり前の時代ですから、決して不思議ではないですね。
そもそも、今まで男性が家事や育児に無関心だったのが、今になってやっと普通に戻りつつあるのかもしれません。
金を稼いでいれば、それで男は男らしいといった価値観が、明治時代から続いてきたのかもしれません。
特に高度成長期には、仕事だけに意識を集中させて、国を発展させる方が、国にとっても都合よかったのかもしれません。
亭主関白という言葉があるように、日本人男性はもともと家で何もしない人種なのでしょうか。
昭和時代はそうだったのかもしれません。もしかしたら、大正、明治時代もそうだったのかもしれません。
しかし、江戸時代など、大昔の日本はどうだったのでしょう。
平安時代の男性がやや中性っぽく描かれるように、男らしい男性はさほど多くなかったのかもしれません。
最近よくいわれる「多様化の時代」と関係しているように思います。
女性であろうが、男性であろうが、それぞれ、かなりの幅で性格はバラバラです。
働くことが大好きで仕事によって生きがいを感じる女性もいる一方、家の中でじーっとしている方が幸せな男性もいます。
時代背景によって、社会的に都合よく男性らしさや女性らしさが作り出されるようです。
でも、そんな社会的規制を取り払ってしまえば、実は、男性らしい男も、女性らしい女も、さほど多くないかもしれません。
ただし、個人を自由に解き放ってしまえば、社会として成り立ちにくくなるのも事実。
人口が減ってきて働く人の数を増やさないと、国の発展が続かないという危機感が、今の政府にあるのでしょう。
20年位前に、戦後のような「産めよ増やせよ」的な政策をしていれば、人口減を食い止められたかもしれません。
そんな政策をしてこなかったので、女性の社会進出を推奨する、その分、男性も家庭のことをしなさい、という図式でしょうか。
その図式は、本来あるべきかたちに進化しているともいえそうです。
外の仕事よりも家庭の仕事が好きな男性もいれば、外の仕事も家庭内の仕事もできない男性もいるでしょう。
そんな日本男性は、いままで、こまやかな気遣いのできる母親に育てられてきたので、家庭内の自分の始末を母にしてもらって当たり前と思っているところがあります。
家に帰って夜の食事ができていて当たり前、脱いだ衣服が洗濯されてたたまれるのが当たり前、部屋が掃除されて当たり前、、、、
一人暮らしをした人は気づいていますが、自分の後始末を自分でしないと、部屋がどんどん汚くなっていきます。
自分だけの部屋ならまだいいのですが、小さい子供がいると、だれかが家庭内の仕事をしないと、部屋がどんどん荒れていきます。
少なくとも食事作りくらいは、自分でできるようにならないと、もはや一人前の大人とは言えないかもしれません。
料理ができないことを、男らしさにすり替えて、偉そうにできた時代は終わっています。
こんな考え方に変わった自分にも驚きます。
そのきっかけは、とある外国人の男性の一言が原因でもあります。
台湾へ旅行に行ったときに、日本の男性は亭主関白で、家では何もしないのでしょう、と台湾人男性が何度も発言していました。
台湾の男性ですから、見た目はほぼ日本人です。でも、日本人とはまったく違う考え方です。
そうか、日本人男性って、そんな風に見られているのですね。
もともと細かいところが気になる日本人です。
その細やかな女性に育てられた男性は、その細やかさに頼り切っていたのでしょう。
日本人男性も変わりつつありますし、そろそろ変わらなければ社会として継続できなくなってきているのでしょう。
私の目から見ている限り女性が変わったのですから、当然、男性も変わることになりますね。