今まで恵まれていたのでしょう。
「生きにくい」という意味がまったくわかりませんでした。
しかし、年齢を重ねるとその意味がなんとなくわかるようになってきました。
生きるエネルギーが少ないというよりも、生きるエネルギーが少なくなるような経験をどれだけしてきたか、かもしれません。
昔の人は、生きにくさを感じたときに宗教というものを味方にしていたのかもしれません。
宗教に頼ってしまう場合もあれば、宗教の教えを守りながら強く生きていく場合もあったでしょう。
どの宗教が良いか悪いかの話ではありません。
宗教の中に、生きていくヒントがあるかもしれない。
NHKラジオ第2放送「宗教の時間」をなにげなく聞いていたときに思いました。
あくまでも生きるヒントにするために宗教の考え方を参考にします。
宗教に依存するのは、あえてやめておきます。
世界の三大宗教のなかで日本に強い影響を与えたのは仏教です。
歴史が長いため、仏教にもいろいろな考え方があります。
仏教の考え方の1つに、こんな考え方があるそうです。
すべての実体は目に見えているようで「空(くう)」なのだとか。
勉強不足なので、決して正しく理解しているとは思っていません。
でも、すべて実体がないという考え方は、なかなか興味深いですね。
目に見えているものは、実体のないものなのだそうです。
一見、矛盾しているようですが、宇宙の成り立ちと関連させて考えると、少しわかってきます。
地球も動物も人間も宇宙の中のチリが集まって、偶然出来上がっている、と考えれば、ウソとは言い切れない。
長い時間軸で見れば、すべてのものは、時間とともに次から次へと姿かたちが変わっていく。
動物だって、生まれるときに母体から栄養素が集まって出来上がり、亡くなったときは土や空気の成分へと変わっていく、と考えれば、その通りかもしれません。
そうなのです。自分も他人も、物質が集まって偶然出来上がっていますが、たまたま出来上がった集合体が物理法則に従って動いているだけです。
命が有る/無いの境界が良く分からなくなってきますが、
ちっぽけな人間なんて、自分も他人も、偶然そのように出来上がって、適当に動いているだけ、、、、なのかもしれません。
すべての人がそうなのですから、自分だけ特別な存在になることなんてあり得ません。
自分も他人も、この世に姿を現したと思ったら、やがて同じように消えていくものです。
そんな時間の流れのなかで、偶然が重なって今の生活を過ごしている。
こんな宇宙から眺めたような見方がもしできれば、苦労はしませんね。
こんなに苦しい思いをしているのは、もしかしたら実体のないところで、グルグル渦巻いているただの想像なのかもしれません。
考え方を少しでも変えられたら、楽になるかもしれませんね。