特定の人をいじめたり、集団で特定の人を攻撃したり、かなり昔から人類が行ってきた行動のようです。
そんな反社会的なことは、残念ながら現代になってもなくなりません。
特に、少し言動がユニークな人をターゲットにして、反社会的な攻撃が始まるパターンが多いように思います。
なんでこんな低レベルなことがなくならないんだろう。
そんなことを考えると、人類の本能ではないかと思ってしまう部分もあります。
大多数とは違う少数派というのは、必ず一定数います。
目立たないだけで、自分自身も少数派になることだってあります。
(もし、果物が嫌いと言ったら、どちらかというと少数派でしょう)
人間は、自分が多数派にいることで安心感を得てしまうところがあります。
逆に言えば、少数派を作って攻撃の的にすることで、多数派の団結を強めてよけいに安心するようなところがあります。
もし、見た目が少し変わっているとか、言動が少し変わっているとか、非常にわかりやすい少数派が近くにいたとしたら、どうなるでしょう。
その人が、ひょっとしたら何か得体のしれないものを持っているかもしれない、その得体のしれないものが悪影響を与えるかもしれない、などと、古代の人類であれば考えたかもしれません。
科学技術がありませんから、わかる範囲で想像(いや妄想)するしかなかったのです。
そんな状況になると、多数派のなかには、少数派を追いやろうとするヤツが出てきてもおかしくない。
そのヤツが勝手に思っているだけならいいのですが、ヤツに周りが同調してしまうと、少数派はたまったもんではありません。
こんなことを太古の昔から繰り返して、人類は過ちを繰り返してきたのかもしれません。
過ちを犯す原因は、教養を備える前の人類の勝手な本能、なのかもしれません。
多数派、少数派なんて、時代とともにコロコロと変わりますから、世代を超えて恨みつらみをはらそうとする場合だってあるでしょう。
人間なんて、偉そうにしていますが、本能的なところで野生動物と同じ部分が残っています。
反社会的な言動は、頭のなかの野生が原因かもしれないと「自覚」するだけで、自分自身の問題行動を修正できる可能性だってあるハズです。
自分自身をよくよく観察するクセを付ければ、自分を客観的に見ることができるでしょう。
そして、「自分が見えている人」になれるかもしれません。