40歳のなかばを過ぎたころから、自分の人生が半分以上終わったことを実感し始めます。
健康に生きられれば「半分」ですが、病気になってしまったら、すでに「三分の二以上」過ぎているかもしれません。
意外と人生は短いのかもしれない、そう思ってしまいます。
この短い時間をわざわざ生きていく目的って何?、、、と中学生男子のような疑問を持ってしまいます。
生物として、子孫繁栄があるのはもちろんなのですが、そうでなくても、偉大な功績によって人類に貢献する人だっています。
けれど、偉大な貢献をする人だらけになったら、それはそれで混乱してしまいます。
だって普通の人がいるからこそ「偉大な貢献」と認められるのですから。
自分の意思で生まれてきたわけではないこの世界で、何も意識しなくても、食事をして眠って、生きていこうとする意欲を生まれながらに持っています。
これこそ、与えられた使命かもしれません。もともと持っている本能です。
そんな本能のために与えられた人生の時間とは、いったい何でしょう?
自分を進化させるための可能性を与えられたと考えれば、いいのではないでしょうか。
だんだんと宗教家のようなことを書いています。。。。
しかし、こんなこと、深く考えなくても無意識にやってしまっています。
だれでも興味のあることは自ら動きますから、いつのまにか進化していっています。
できなかったことが少しでもできれば、「進化」です。
そうやって進化を続けて、いつのまにかエネルギー切れを起こして、この世からいなくなっている、というのが人生なのかもしれません。
「生きるのがつらい」という場面は、長い人生なら1度や2度くらいあるでしょう。
でも、浮き沈みのなかの一時期だと思えば、大幅に進化できる直前にいるのが「沈み」時期とも思えます。
こんな風に自分の考え方を変えるだけで、不幸になったり幸せになったりするなら、こんな便利なことはありません。
自分自身を脳内でプロデュースして、自分を変身させることができるように「進化」するための時間、必要かもしれませんね。