もし本当に100歳まで生きるなら、50歳なんてやっと人生の半分。
40歳を過ぎたころに「人生半分終わったな~」と思っていたら、いつの間にか寿命が延びて、50歳でもう1度同じことを思うのです(笑)。
今の50歳は、ひょっとしたら今の30歳ではないか、という記事を見たことあります。
いやいやそんなことはないと全否定しますが、ある面では当たっているかもしれません。
いや、本当にそうであって欲しいと思う自分もいます。
だって、まだまだやりたいことがたくさんありませんか。
さすがに体力は衰えていますから、カラダを激しく動かすことは無理かもしれません。
しかし、体力を維持するとか、体形を維持するとか、健康管理によって病気しないとか、工夫次第(メンテナンス次第)でなんとかなることも多いのです。
そのうえで、趣味でも、仕事でも、お金稼ぎでも、やり残してしまった感のあることを、まだまだカラダが普通に動くうちにやりたいと思いませんか。
従来の考え方ですと、仕事で成功するとか、出世するとか、収入が多いとか、男性の価値観がこんなことだけに縛られていた感があります。
そんな境遇になるのは、そもそも人口のほんの一握りですから、それ以外は不幸せな人か?というくらいの雰囲気です。
もしそうなら、ほとんどの人間は、不幸せな人生のまま死んでいくという話になります。
ほんまでっしゃろか?
充実した時間をいかに多く過ごすかで、その人の幸せ感は変わります。
何が充実かなんて、人によって違います。
趣味、仕事、お金、恋愛、スポーツ、ボランティア、、、なんだってあります。
ただし、そういった時間を過ごすためには、最低限のお金が必要です。
これが問題。
お金はいろいろなものに化けますから、人間に欲があれば、多ければ多いほど選択肢が増えます。
子供の教育にもお金が大きく影響するなんて、親であればだれでも、できるだけお金が欲しいと思ってしまいます。
話は元に戻り、50歳という中途半端にポンコツ感のあるカラダやアタマを使っても、この先まだまだ生きていくのです。
30歳の人にいわせたら、50歳なんてもう老人初期というでしょう。
でも、70歳の人に言わせたら、50歳なんてまだまだ大丈夫と言うでしょう。
比較の問題ですが、50歳過ぎてもチャレンジできる余地はあるハズです。
記憶力、体力が衰えつつあるので、チカラずくでは無理でしょう。
何にチャレンジするかによって対策が必要です。
基本的な対策は、「習慣化」です。
例えば、筋トレにしても勉学にしても、急激に始めると「ケガ」します。
少しずつ進めるためには、毎日の習慣にすることくらいしかありません。
子育てもひと段落している人も多いですから、小さい子に時間を使う必要もないでしょう。
習慣化をしやすくなった年齢といえます。
自分を変えられる能力は、見た目や実年齢とは関係なく、若さのバロメータです。
筋トレや学習を習慣化するという「変化」を自分に植えつけられる人が、チャレンジを成功できる人です。
凝り固まったアタマやカラダをほぐして、考え方やカラダを柔軟化できるかどうかです。
まずはストレッチ(常識の鎖をとる)、そのあと、継続的に筋トレまたは学習(カラダやアタマに取り込む)という作業のクセ付けが、習慣化のカギです。
これぞまさしく、自分を変えるということです。
50歳以降、見た目も考え方も、年をとることを忘れてみませんか。