子供の頃、明治大正生まれのじいさんやばあさんと暮らしていました。
戦争経験者です。
食べ物がなかったこと、お金がなかったこと、あまり詳しく聞いていませんが、物がなくて困った時期があったと聞いています。
そのせいでしょうか。
今の豊かな生活が、必ずしも当たり前ではないという意識がどこかにあります。
同世代の人とは少し考え方が違う、と自分でも気づいています。
でも、実際そうなのです。
戦後の貧しい生活から、もう60年経ったともいえますが、まだ60年くらいしかたっていません。
物がない時代は、生きていくだけで精いっぱいです。
世の中の制度もあまり整っていなかった分、なんとなく他人様と寄り添って、あうんの呼吸で助け合っていたのだと思います。
食べ物を分け合うこともあったでしょう。
人と人との距離感が近かったのです。
一方、いまやどうでしょう。
決して今の世を批判する気はないのですが、個人の時代です。
お金を稼ぐ、結婚する、子供を持つ、おいしいものを食べる、、、、
どれも自分で判断します。
したくなければしなければ良い、という時代です。
自分自身でなにもかも判断する時代です。
ですので、基本的に他人に頼ることはいたしません。
人との距離感がやや遠くなっているともいえます。
この方が心地よいというのもわかります。
しかしそうなると、他人様のおせっかいに耳を傾ける必要がなくなります。
おせっかいには、自分にとって良いこと、悪いこと、すべて含まれています。
ですから、良いおせっかいを無くした分、自分自身で気づいて行動しなければいけません。
例えば、食べ物について考えてみます。
おいしい食べ物であれば、スーパーやコンビニでいつでも買えます。
食べる量も自分で制限しない限り、いくらでも食べられます。
自分で自分の行動をちゃんと自制できる人はよいです。
しかし、自分をコントロールできる人って、少数派ではないでしょうか。
自己管理しないと、自分が気づかないまま、悪い方向へ突っ走ってしまう危険だってあるのです。
食べ物なら暴飲暴食へ、恋愛なら二股三股へ、人間関係なら暴言いじめへ、
自分の感情を制御できずに暴走してしまうことだってあります。
以前は、年長者が言い聞かせて止めることもあったでしょう。
(年長者が出る杭を打っていたとも言えますが)
自分の行動をコントロールするのは、もはや自分しかいません。
いろんな意味で選択肢が増えた今の世の中では、すべて自分で気づき、すべて自分で決めて、すべて自分で行動しなければいけません。
自らドンドン進める人にとっては良い時代かもしれません。
自分で決められない人にとっては、どうなのでしょうね。