子供のころからコンピュータの考え方に触れて育ったら、人工知能のような考え方をする「脳力」が育ってもおかしくないですね。
人間の脳が人工知能の方へ寄っていく場合もあれば、生まれながらに人工知能のような脳を持った人もいるでしょう。
情報処理能力に優れた人工知能のような脳を持って生まれた人もいるはずです。
でも、人工知能に感情はありません。
感情部分がちょっと足りないかもしれないが、情報処理能力に優れた人は、実際にいます。
おそらくこの人、そういうタイプだな、と思える人が身近にいます。
狭い領域では非常にすごい能力を持っていて、まるで人工知能のようです。
こんな能力を持っているのだから、さぞかし人間的にもバランスの取れた人なのだろうと思っていると、かなり期待から外れます。
一言でいうとバランスが悪いのです。
なんでこんな言動をするのだろう、、、、と長年観察した結果、神様は、人工知能のような能力を与えた半面、「共感力」をあまり与えなかった、そのように思います。
(人格を否定しているわけではなく、人間観察をしていますので、念のため)
競争心があるのはいいのですが、少し傷つく言葉、イラっとする言葉を平気で言ってしまいます。
特定の人が嫌いだからそうなのか、と思っていたら、いろいろな人に言っているようです。
言葉で攻撃していることになるので、そのうち周囲から攻撃されるはめに陥ります。
その言動を自覚していないのが、見ていて不思議に思えるのです。
ねたみとか、やっかみではなく、客観的に見てやはりバランスが悪い。
どんなにテストでよい成績が取れても、周囲の人とうまく関われなかったら、社会に出てから苦労します。
高学歴の人のなかには、このようなタイプの人がある割合で存在するようです。
一般的には、高学歴だと「すごい」と言われがちですが、証明されるのは、20歳弱で難しいペーパーテストを解答できたということだけです。
しかし、高学歴が独り歩きしてブランド化される場合があります。
ブランド化された学歴で人を判断するのは危険を伴います。
あたりまえですが、高学歴だから仕事ができるとは限りません。
学歴がどうであれ、仕事ができる人、バランスの取れた人はいますので。
学歴だけに限りません。見た目が良い人も、なんとなく仕事ができそうな雰囲気があります。
なので、人をブランド化して判断することには、罠があります。
結局のところ、その人を自分の目で確認するしかないのです。
自分の目で確認したうえで、その人をどのように評価するかは、その人次第です。
多様化の時代ですから、物差しはたくさんあります。
1つの物差しだけで人やモノを評価すると、後で痛い目にあうかもしれません。
これからの時代は特にそうです。
自分にとって大切なものは何か、常に自分で考えて、自分で決定する能力こそ求められていると思います。