なにごとにも裏表といいますか、良い点悪い点があると思うのです。
便利を追及する世の中で、便利になるのは良いのですが、
あまり目立たない「もの」を失っているかもしれません。
目立たないので、全然気づきませんが。
人生は1つの道を進むしかないように、世の中で流れている時間は1つ。
どこか一方に向かっていけば、向かった先の結果はわかりますが、
仮にもう一方に向かっていったら、どんな結果になっていたかなんて、だれにもわかりません。
もう一方にあった結果が、失ってしまった「もの」かもしれません。
便利を追及してきた世の中ですが、いまだに便利ではない生活を続けている地域もあります。
日本国内でも差があるでしょうし、世界各地でも差があるでしょう。
自分自身で便利な生活を作ったわけでもないのに、不便な生活を見て「まだまだだな」と上から目線になるのは簡単です。
「まだまだ」な生活をしている人の方が、幸せ感は強いかもしれません。
失ったものは、こころに関するものかもしれませんし、からだに関するものかもしれません。
例えば、からだに関していえば、体を使わなくても、電気で動く装置がいろいろとやってくれますから(洗濯、掃除、食器洗い)、その分、筋力は落ちるのかもしれません。
それを補うように、筋トレにはげまないと、高齢になってから自分の足で歩けない、なんてこともあるかも。
こころに関していえば、対面で意思疎通を図らなくてもよくなったので、対話のスキルは、もしかしたら落ちているかもしれません。
対話力に優れた人だけが優遇されることがなくなったので、よりフェアになったのは利点ですが、個人対個人の会話という点では、良くなったのか悪くなったのか。
今いる現実でしか判断できないので、誰も正解を知りません。
ひとついえるのは、今の時代のなかで自分が生きていくしかない、ということです。
今の時代に適応できても適応できなくても、自分に与えられたスタートからストップまでの時間は、自分では選べません。
与えられた自分を生きていくしかない。
なんていうと、重々しいですが、せっかくの人生ですから、便利ないまの世の中をどうやって楽しんでやろうか、と「たくらむ」くらいでちょうどいい。
失ったものなんて、気にしなくていい、そう思います。