多様性の時代といわれてけっこう時間が経過します。
多様化とは、実は、生物の遺伝子にとってあたりまえ。
生物がどんどん進化していく現象と同じことです。
生物は多様性を追求しているのです。
遺伝子が同じ人間は一卵性双生児以外いませんし、いろんな遺伝子を作って世の中に登場させるからこそ、いろんな環境に適応できるのです。
同じように見える野生動物の遺伝子だって、同じように多様性を追求しています。
でも、多様性は、あくまでも全体を見渡したときのお話です。
人間という生物全体をみたときに、いろんな体格、いろんな性格、いろんな趣向を持った人たちで構成されているという意味です。
近くにいる個人同士で互いに観察したときに、多様性を意識することは難しい。
これがいろんなトラブルを引き起こすのですね。
ひとことで言うと、「多様性を理解するのは神の領域」。
いろんな人がいるとわかっていても、すべての人を許容するなんてありえません。
野生動物がテリトリーを区切って生きているように、どうしてもグループ化します。
トラブルになる前に、関わらないように生きていくという知恵がはたらくのです。
似たような価値観でまとまっているからこそ、安心して生きていけます。
食習慣だけでもいえますね。
食べたことのない海産物を平気で食べる人たちを見てどう思うか。
ふだん食べない動物を、平気で食べている人たちを見るとどう思うか。
従前は、世界で人の移動があまりできなかったため、世界中にある非常識を受け入れられなかったのはしょうがありません。
自分にとっての常識が、相手にとっての非常識になってしまうので、多様性なんて理解できません。
でも、インターネットの普及によって、情報や価値観が一瞬で世界中を駆け巡る時代となりました。
そうなると、はなしは少し変わってきます。
世界には違う価値観があるってことが、知識として知る機会が増えます。
違う価値観で生きている人を、頭ごなしに否定することは、できません。
むしろ、否定すると、無知な人と思われます。
価値感の多様性を理解したような雰囲気になれる時代になったかもしれません。
でも人間様は、まだまだそんな環境に慣れていません。急には変われません。
多様性をほんとうに理解できるためには、時間をかけて人間が「進化する必要があるかもしれません。
ひょっとしたら、多様性の理解とは「神の領域」かもしれません。
なぜなら、人間様にとって何か1つの価値観を強く信じることは、生きるエネルギーになりますから。
何か目標に向かって努力するって、そういうことですよね。
多様化って難しい。