おじさんになってしまった自分が、もし、今の時代に生きていたら、どのように過ごしているだろう。
そんなことを考えてしまいます。
SNSがあって、欲しい情報もすぐに手に入るけど、がんばっただけ収入が上がるわけでもなく、男性と女性の関係性も以前とは大きく異なるようです。
その時代に適応して生きている自分も見えてますけど(笑)、多感な十代後半頃にインスタを見ていたら、少し変わっていたかもしれません。
「切り取ったいいとこどり」の写真や動画を、ありのままの姿だと勘違いして見てしまったかもしれません。
そして、他人と自分を比較して、妙に自己嫌悪に陥っていたかもしれません。
人生経験を積むとわかってくるのですが、特に仕事においては、観察することで自分のスキルを上げるために他人様がある、という程度で大丈夫です。
他人様を客観的にみることができれば、世の中を客観的にみることもできます。
他人様にも自分にも優れたところは何かあります。
他人様の優れたところを、自分の足りない部分と比べて、なにか思い込んでしまうのでは時間がもったいない。
むしろ、自分の優れたところを1つでも見つけて、他人様との優劣関係を「客観的に」考えながら、さらに伸ばすべきかどうかを思案する方が、よっぽど未来的。
きれいな他人様を見た瞬間、「同じ土俵で勝負しない自分」を妄想することも大切です。
同じ土俵で、すなわち「同じ物差し」で比べたら、優れた人は、生まれながらに優れている場合が多いです。
努力というよりは、生まれ持ったものなので、本人はあまり意識していないかもしれません。
いままでの学校教育は、偏差値重視で、生徒が勘違いしてしまっていたではありません?
成績が悪かった場合、自分が何か悪いことでもしたのではないかと落ち込むとか。
「学び方」を学ぶことが本来の目的なのに。
はなしは元に戻り、人の価値を決める物差しなんて、いくらでもあるのです。
人の数だけ物差しがあるといっても過言ではないかもしれません。
なので、優れた自分をアピールしてる人を観察して、自分のために利用するのが、もっとも賢いやり方ではないでしょうか。
ファッションなら、そのセンスを盗む、体形なら、その体形のどこが良いのか盗む、、、
昭和の人たちは、マンツーマンで技を伝授していくことを良しとしていましたが、いまやそんな(めんどうな)行為は、だれもしません。
「おせっかい」がなくなりつつあるのです。
なので、若い人は、あふれる情報のなかから、自分のスキルを高める情報を自分で抜き出していくしかありません。
SNSは、そのためにあると思いたいですね。
他人様と自分を比べるために進化した道具ではない、と思いたい。