あっというまに国政選挙が終わりましたが、その他の事件、コロナ感染再拡大などによって、選挙の話題はかき消されてしまいました。
日本は野党が弱いので、いったいいつ二大政党制になるのか、といわれています。
アメリカなどを見ていると、完全に2つに分かれて議論しています。
徹底的な議論をしているように見えてしまいます。
しかし、ふと気づきませんか。
総論賛成、各論反対といった人たちが、どちらの党にもいるような。
1つの政党内で、けっして1枚岩ではないような。
当然ですね。
近年の多様性の話とつながりますが、本来、人の考え方はいくつもの思考パターンでできています。
集約したとしても、きれいに2つに分かれるとは思えません。
2つに分けるメリットは、敵対させてわかりやすくなるという点です。
もし、どちらかを選べと言われたら、自分はこちら、という結果に導くにはもってこいです。
しかし、その結果は決して自分の意見を反映させたものではないのです。
民主主義の欠点(というか妥協点)は、こんなところにもあります。
本来、複雑で1つにはまとまらない議題を、最後には1つにまとめざるをえない事情があるのです。
結局のところ、すべての意見が反映されることは無理であり、最終的には多数派の意見が尊重されます。
その意見が間違っていたとしても、、、です。
なので、2つに分かれて議論するというパフォーマンスを実施して、お互いに納得できたかのような状態に持っていく必要がある、そのように思います。
議論をする必要はあると思いますが、2つに分かれて行う必要はないような気がいたします。
いろんな意見があって、それら意見を議論するのが本来のやり方なのでしょう。
ただ、そんなことをしていたら、コストも時間も、とんでもなくかかってしまいます。
たくさんの政党の代表が出演する討論会が、決してまとまらないのは、そういった理由により、どうしようもないのかもしれません。
議論をまとめようとした場合、人対人ではなく、議論のテーマを1対1にすると、なんとか進行できるのではないでしょうか。
それでも、議論の結論は1つではないので、難しいのでしょう。
個人の多様性を認めるのは当然としても、集団を単位としたときに、集団の多様性をどこまで認めるかは、永遠に解けない難問であると思います。
集団には、もちろん国も包含されています。
いろんな国が様々なやり方をしてしまうのは、昨今情勢を見ていれば一目瞭然ですね。