yugusuki’s blog(ゆぐすきブログ)

ウェルネスに興味ある中年男性のいろいろブログです

ブランドって目印に過ぎないのか価値あるものか

つくづく自分は理系人間だなと思うときがあります。

 

ファッションにあまり興味がなく、日本の歴史にもあまり興味がありません。

人それぞれの心理をあれこれ考えるのが面倒なのです。

 

でも、人間の心理について理論的に考えるとなると、がぜん興味が出ます。

 

そんな思考回路を持つ自分について、例示してよいかどうか迷いますが、

いわゆるブランドものにも興味がありません。

 

どちらかというと、性能やスペックの方に興味を持ってしまいます。

 

有名な会社の製品は、きっと良い製品に違いないという考え方にも納得できます。

しかし、過剰な品質を要求しない場合だってあります。

 

安全な製品であれば、無名な会社の製品であっても買ってしまいます。

 

お菓子でも、配合成分を見て買ってしまいます。

シンプルな成分で作られているお菓子は、硬いけど、素朴でおいしいです。

ロシア産のお菓子を買うときは少し考えましたけど。

 

話はもとに戻り、人に対しても、あまり肩書だけを信用しないようにしています。

 

世間的にはすばらしいとされる肩書の人でも、「どうかな」と思う人を何人も見てきたからです。

気づくまで、それなりに年数はかかりましたが。

 

きっと、人の印象も、商品の印象も、勘違いさせた方が勝ちなのでしょう。

世の中勘違いで成り立っているような気もします。

 

だって、最初の段階では、その人やその物の本当の良さ(悪さ)をわかる人なんていないですから。

 

経歴や肩書、産地や値段を見て、きっとこれは良いだろうと思って付き合った人(購入した物)が、それなりに良ければ、そのまま物事は進んでいきます

 

本当に良いものはどれか、本当に役に立ちそうな人はだれか、なんていうことを見破るためには、時間が必要です。

 

数か月もの間、そんなことを考え続けるなんて実質的に無理です。

 

ということは、どこかで「目印」、「レッテル」、「印象」に頼って決定する場面がほとんどです。

 

そんな原則に従えば、みんなを勘違いさせることができれば、だれでも有利な立場になれるのでしょう。

実際のところ、権力を持っている人を勘違いさせれば、権力に寄り添うことは可能なのです。

あとは、姑息な手段を使ってまで、権力に寄り添いたいかという問題です。

 

自然体のままで権力者に認められる場合もあれば、

同一人物であっても、権力者が変われば良し悪しの判断が変わる場合もあります。

 

なので、自分が有利な立場になるかならないかは、どの権力者に関わっているかによって変わります。

 

有利な立場になるしかない、と思っていろいろと自分の言動を工夫しても、必ず思い通りになるとは限りません

人の考えている価値観はさまざまですから。

 

開き直って考えると、有利な立場になれなかった人が大勢いるからこそ、有利な立場にいられる人が存在するのです。

 

選ばれなかった人の方が、マジョリティー(多数派)なのですよ。

 

なので、有利な立場へ行かなければいけない、と思い込んで自分を苦しめるのは、ほどほどしておいた方がいいですね。

 

だって、世の中、勘違いで回っているのですから。