自分に対して自信がなく、周囲にいる人の方が常に優れているように見えてくる、そんな経験をした人は多いハズです。
社会生活をしていると、どうしても自分と他人とを比べてしまいますから。
そもそも学校の成績という物差しだけで評価され続けてきましたから、しょうがない側面もありますね。
一方で、自分の言動がまったく見えていない人もいますけど。
これぞ、人間様の多様性ってことでしょうか。
オンリーワンだなんだかんだと言われていますが、納得できている人はほんの少数はではないでしょうか。
オンリーワンを違う視点から考えてみればよいのでは。
前提条件は、すべての人間がナンバーワンにはなれない です。
少ししか設定されていない物差しのなかで、トップになれる人の数は、ほんの少しです。
確率で考えてみます。
何かでトップになれる人は、どんなことであれ、ほんの一握りです。
サイコロでいえば、6分の1の確率です。
運動神経も、容姿も、学業も、すべてできる人が仮にいるとしたら、確率でいうと、6×6×6分の1の確率です。
216分の1の確率ですか。
石を投げても当たりません。そんな人。
仮に石が当たった人がいたとして、その人が、性格も体格も健康もすべて良いとなると、どんな確率でしょう。
数万人に1人ですか。
自分だけがそんな人に該当すると思えます?
むしろ、その他大勢のなかの一人である方が自然なのでは。
もし、そんな貴重な人に該当したとして、そのような人は他人様から注目されますから、かっこうの標的となります。
腹黒い人は、その他大勢のなかにたくさんいますから、貴重な人をなんとか利用して、自分の利益にしたいと思っています。
それでも貴重な人になりたいなら、なりたいと思い続けて人生の時間のほとんどを使ってしまえばよいと思います。
自分の特徴を考えたときに、健康だけでも6分の1の確率に入っているのなら、その貴重さを楽しめばいい。
少し欲張って、学業も6分の1に入れば、もうすでにオンリーワンかも。
物差しは、上記のようなものだけでなく、数限りなくあります。
絵が得意、歌が得意、ダンスが得意、けん玉が得意、ゲームが得意・・・・なんでもあります。
スポーツだけ例に挙げても、球技がうまい人が格闘技もできるわけではなく、陸上が得意な人がアクロバットが得意なわけでもなく、いくらでも「物差し」があります。
人が人を評価する場合、いろんな物差しを使います。
物差しは無数にあり、無数にある物差しのなかの「1つの物差し」でオンリーワンになることは、もしかしたら可能かもしれません。
その物差しを見つけることの方がかなり大変です。
なんとなくこんなイメージを持っている私は、得しているかも。
勘違いかもしれませんが、確率で考えただけで自分がオンリーワンだと思えてきます。
遺伝子が多様性を追求して、同じものを作らないということに気づけば、オンリーワンの考え方は容易に理解できますね。
あとは、そのオンリーワンが、社会のなかでどれだけ重要とされているかどうかだけの問題です。
終わるまでの自分の人生を大切にすることを優先すれば、社会がどうとか、あまりどうでもよくなります。