時代が変われば人の考え方も変わります。
いままでもずーっとそうだったのでしょう。
ただ、近年になって技術の進歩が速くなり、時代が変わるスピードも速くなっている気がします。
世代間ギャップというのは古代からあるそうですが、今回のお話はそれに該当するのかそうではないのか、自分でもよくわかりません。
お時間があれば付き合ってください。
子供のころの祖父や祖母は、明治や大正生まれで、戦争を経験してきた人たちです。
そんな人たちは、日本の古い習慣のなかで生きていた側面もありますが、だからこそ、人間関係が近いなかでなんとかうまく生きた人たちです。
情報が少ないなかでうまく生きる、自分でできることは自分でしてしまう、他人様との距離感が今よりも近いので他人様への気遣いをせざるを得ない、、、、
そんな特徴があると思っています。
古くからの「家」制度のなかで生きるのですから、そうなるでしょう。
いまや「家」制度はほぼ崩壊し、自分らしく個人で決めて生きる時代です。
良い悪いというより、そういう時代になったのです。
どんなことにも良い点と悪い点があるように、獲得したものがあれば失ったものもあるはず。
今や、他人様との距離が遠くなっても個人で情報ツールを持っているので、遠くの人と簡単につながれる時代。
近くにいる人との関係が悪くても、だれかと良い関係があれば生きていけます。
近くにいる人であっても、関係ない人にはまったく関わらなくてよいのです。
公共の場で近くにいる人に気を遣う必要はないのです。
お互いに知らない人同士ですから。
でも、知らない人の前を横切るとか、電車のなかでドアの近くでスマホを見ているとか、ちょっとした気遣いを聞かせる場面はあります。
男性女性を問わず、年齢を問わず、従前にあった「なんとなくルール」が通用しなくなっている気がします。
回転すしで迷惑行為するのも、ちょっとだけ気遣いをすれば、自分で自分をストップできたはずです。
今までの日本が治安がよくて、道にゴミが落ちていないのも、「なんとなく気遣うルール」が作用していたからでは?と思います。
そんな「個人のなんとなく気づかい」が徐々になくなっていったら、日本の姿も変わっていって当然かもしれません。
もう古くなってしまったおじさんの考え方でしょうか。