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いままでの常識外のできごとが次々と - yugusuki’s diary(ゆぐすき)
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大国というのはいつの時代も覇権争いをするのでしょうか。
大国の間で競争していると、大国でない国は、どうでもいい存在なのか、という気もしてきます。
テリトリー争いをしてしまうのは、動物のオスに一般的に備わっている気質なのか、はたまた、個人の性格なのか。

昔の大和国でも、本州から見た南方の国や北方の人たちに何をしたのか、という歴史も考えてしまいます。
今までにない出来事が起こったとき、もしかしてこの出来事がきっかけで好転することもあるかも、と思えれば静観でできます。
しかし、過去の戦争が起きた直前と同じような事件を、もし繰り返しているとすれば、やはり人間って同じことを繰り返す生き物なのだなと痛感します。
戦争を経験した親から子に言い伝えできることは半分くらいかもしれません。
何度も戦争を経験しても、親から孫の世代へ時間が流れていくうちに「絶対悪」を避けなければいけない、という意識が薄れていくのでしょう。
特に、第二次世界大戦の戦勝国は、本土で大きな被害を受けていないかもしれないので、戦争に対する反省はあまりないのかもしれません。
むしろ、戦争に勝ったことへの誇りのみが語り継がれる。
とんでもない被害を受けたのは一般市民であっても、国の指導者は、自分の正義を貫き通す。
正義とは、正しい道理であると理解されていますが、1つしかないわけではない。
誤解していた自分が間違いでした。
人それぞれに正義があるので、正義がぶつかり合うと、どちらかが正義を放棄しないかぎり争いが収まらない。
どこかの国のように二大政党が互いに正義を戦わせる状況は、わかりやすいが人間世界の本質と違うのでは?
多様性といわれて久しいですが、人それぞれ正義があるということは、2つの意見だけを議論するなんて所詮無理のあること。
雑多な意見が渦をまいて混沌としているのが本来の姿であるような気がします。
日本の神様が善悪すべてそろってたくさんいらっしゃるように。
なので、むしろ欧州の国や日本のように、たくさんの考え方が混沌としている方が自然かもしれません。
物事の進み方が遅くなるというデメリットはありますけど。
雑多な考え方をうまくまとめて、あるべき方向へ導くのが本来のリーダーの姿であると信じているのですが、現状のリーダーはそんな人でしょうか。
自分の正義のみを貫き通すのは、ちょっと違うハズです。
日本はもともとアジアの端に位置しているのですから、太平洋の向こうの国を見ながらがんばってきたのはいいのですが、すぐ隣の国のことを研究しなさすぎかもしれません。
隣の国々は、ときに敵になり、ときに味方になるかもしれません。
操られるのではなく、うまくふるまう必要があるかもしれません。
この列島に生まれてきた人たちは、相手に合わせてうまくふるまう能力がけっこう高いのではないでしょうか。
うまくふるまうためには、良くも悪くも相手をよく知る、よく観察する、よく研究する必要があります。
嫌いだから全部排除してしまっても、国ごと太平洋の真ん中へ引っ越ししないかがり、何の問題も解決できない気がします。
敵の敵はゆるやかな味方という考え方は、どの時代でも普遍的なチカラになるということですかな。