世の中の事象や世の中の出来事を確率で説明することは、けっこうあります。
確率といえば、天気予報の降水確率が身近で有名です。
確率100%と言われると、傘を持って出かけます。
でも50%といわれると、どうしたらいいのでしょう。
確率は、数字で表されているため明確なものという印象があります。
しかし、よく考えると、確率は頼りないところもあります。
例えば、天気予報の降雨確率で20%といわれていても、雨に降られる場合もあります。
そう、何かが起こる前と、起こった後では、確率の信用性なんてガラリと変わります。
数字で表されているのに、占いのように、結局当たらない場合がけっこうあるのです。
自分の人生うまくいかないな~
思い通りの人に巡り合えないな~、、、など、
占い師にいちど聞いてみたいようなこと。不本意なやるせない思い。
思い通りにいかない不本意な思いを確率で考えたらどうでしょう。
思いをよせる人にふられてしまったのは、もともと低い確率にチャレンジしたから。
努力したのにその努力が報われなかったのは、数%という低い確率に偶然入ったから。
と考えることもできます。
そんな低い確率に当たってしまったのだから、めったにないことかも、と自分で自分を納得させることもできます。
ところが、悪いことが起こっていても、その悪いことがいつまで続くかなんてわからないし、
いいことが続いても、あるとき急に嫌なことが起こるかもしれないし。
確率で考えてみても、0%か100%でない限り、可能性はあるのです。
どの時点でその確率が当たるのか、わかりません。
永遠に当たらないかもしれません。
数字で表されていても、確率は、結局あてにならないところがあります。
例えば、あたりまえに暮らせる確率が、いくら90%といわれていても、そんな状況は、いつ変わってしまうかわかりません。
55歳になったときに、大病をわずらうかもしれません。
そうなったら、結果として、あたりまえに暮らせる確率は、けっこう低かったということになります。
「50歳まで」あたりまえに暮らせる確率が90%だったのかもしれませんね。
だからこそ、ときどき思い出したように、確率で考えてみてもいいかもしれません。
明日どうなっているかわからないぞ、と思えば、今日までに用事を済ませておこうと思えるかもしれません。
確率で考えて0%か100%でもない限り、日々の生活に、ちょっとだけ緊張感を持つ方が賢明ですね。