多様化の時代といわれています。
いろんな価値観があるのがあたりまえ、だからいろんな価値観を認めましょう。
その通り、大賛成です。
しかし、ものごとにはどうしても表裏の関係があります。
いろんな価値観を認めるということは、「こうあるべき」を否定することになります。
以前はこうだった、だから良かった、、、、という考え方をなくすことにつながります。
昭和の時代は、家族で過ごすのがあたりまえでした。
父が働いてお金を稼ぎ、母が家庭を守って、子供は家庭を居場所にして安心を得る。
これがあたりまえでした。
この家庭の姿が「こうあるべき」姿だったので、だれも何も疑問を持ちませんでした。
その価値観がなくなったとき、どうなるでしょうか。
父親が家庭の仕事をする専業主夫でもよいのです。
母親が家庭の必要経費をぜんぶ稼いでもいいのです。
子供は家庭を居場所にしなくても(いや、居場所にできなくても)社会はそれを認めるのです。
「こうしなさい」がなくなると、自分ですべてを決定しなければいけません。
そうなると、「絶対にこうしたい」という熱意がない人は、あれこれ考えたうえで、ぜんぶ自分で判断しないといけません。
以前のように、どこからともなく誰かがおっせっかいを焼いて手を差し伸べて助けてくれるなんて雰囲気は、もはや存在しないかもしれません。
「あたりまえ」がなくなりつつあるのです。
自分ですべての道を切り開いていける人はいいでしょう。
制約がなくなりますから、どんどん前へ行ける。
でも、何をしたらいいか自分で決められない人は、どうしたらいいのでしょう。
従来の「こうすべき」「そうしたら間違いない」が通用しないのです。
自分で全部考えながら進むしかないのです。
今はまだ世の中が変化している途中だからでしょうか。
いままでの価値観が昔のように通用しない場合があると、不安感を強く感じる人も多いのではないでしょうか。
とはいえ、新たな価値観で次の時代を作っていく人たちは確実にいるわけです。
今の10代にしろ20代にしろ。
いったいどんな価値観でこの世の中を変えていくのでしょう。
そのうち自分がポンコツになるだろうと予想している中年は、新しい時代の考え方に触れて、自分自身をいかに進化させていくかを考えた方が、賢いかもしれません。