受験や視覚試験など、いわゆる知識を詰め込むような勉強は、人生のどこかで経験します。
これはこれで、仕事をするうえでは必要なのだと思います。
でも、個人的には、難関大学に受かったとか、難関資格に合格したからすごい人だとか、あまりそういった類の話に興味がありません。
記憶力がすごいだけで突破してしまうことがあるからです。
その人の人間性がテストで証明されるわけではありませんから。
それよりもすごいと思うのは、カラダも頭も衰え始めているのに、いまだに新たなことに挑戦し続ける意欲です。
年齢を重ねるとどうしても体力は落ちますから、頭を使った学習を続けられる能力には、感心します。
ご老人が資格試験に挑戦して合格するなんて、すごいことだと思います。
自分自身が中年になって、自分の意欲低下に自分でうんざりしているのに。
ご老人でもYouTubeを始めたり、語学に挑戦したり、新しい挑戦をしている姿には感心してしまいます。
どうしても見た目は老けてしまいますから、若々しさはないのかもしれません。
でも、目に見えない意欲とか好奇心とか、にじみ出ていますね。
自分自身が若いころは、うっとうしいと思っていました。
ご老人が年齢にふさわしくない言動をしていると、見るに耐えませんでした。
いざ、自分が年齢を重ねると、どうでしょう。
年齢にふさわしい言動をしないといけないと自分を戒める一方、まだまだはしゃいでいたいという気持ちもあります。
時代は変わっていますから、昔の明治大正生まれのご老人と同じ言動を、昭和生まれの老人ができるわけがありません。
自分らしく、しかも、若い人のテリトリーを犯さないように、ご老人だってはしゃいでもいい時代なのだと思います。
服装だって、身だしなみだって、年齢に(ふさわしくない)若いつくりにしたっていいのではないでしょうか。
浮いてしまうかどうかは、ご本人のセンスの問題です。
ここでも、センスを磨くという学習が必要です。
何か行動を起こそうと思ったら、年齢を重ねても、いろんな場面で学習し続ける必要があるのです。
なにせ、時代の変化が速すぎますから。
ぼーっとしていたら、社会から取り残されてしまいます。
いまから老人になる人は、この点をよーく考えておくべきでしょう。
親は親の生活、子供は子供の生活をしていくのです。
日本の家制度なんて、もう、崩壊しています。
年老いても、自分の生活は自分でなんとかしないといけません。
となると、やっぱり年齢を重ねても自分で学習できるスキルは、持っておくべきでしょう。
何も難しいことをする必要はありません。
新しいことに直面したときに、まずこうやって、次にこうやって・・・・と進めるスキルを身に着けておけばいいのです。
あきらめるのは楽なので、ついつい休憩したつもりが、ずーっと休憩し続ける場合がありますね。
休憩したら動く、休養したら動き出す、これの繰り返しです。
少しずつでも進めばよいのです。
結局は、かけた時間の累積が結果となって現れますから、すぐに結果を求めなくてもよいのです。
のんびりと、でも、着実に進みましょう。