多様性を認めましょう、とこれだけ叫ばれている世の中で、もし「普通にして」と言われてしまったら、自分のどこが普通でないか悩んでしまいます。
そもそも普通の人ってどんな人なのでしょう。
おそらく多数派の意見と同じ意見を持っている人、多数派と同じ好みを持っている人、多数派と共感できる人、多数派と同じ行動をとれる人・・・・
といった答えを思いつくでしょう。
じゃあ、多数派と違う人はすべて普通でないかというとそうでもないですね。
カラスが嫌い(いや、私はカラス好き)=>普通でないかも
でも、寿司には醤油をつけて食べます=>ケチャップつける人と比べたら普通
毎日3食食べて7時間睡眠をとります=>毎日1食で3時間しか寝ない人よりも普通
そう、物差しはいろいろですから、何か1つが普通でなくても他が普通なら普通の人です。
多くの点で普通でない場合には、その人はきっと「普通でない」と言われてしまうのでしょう。
「普通でない」と判断するのは、周囲にいる多数派の人たちです。多数派の人たちのなかには、なにかしら「普通でない」なにかを持っている人はたくさんいます。
普通である「かも」しれない人に、「普通でない」なんて言われたくないです。
なんでこんなこと言うかといいますと、私は地方出身者なのです。
地方から都市にきたときは、言葉も習慣も違うのでマイノリティ感をかなり感じていました。いわば自分がいきなり「普通でない人」になってしまったのです。
そんな自分を変えなければならないと、今まで持っていた価値観、考え方、そして言葉まで変えてきました。適応ってやつですか。
若いうちに実行したので特に何も感じていなかったのですが、年齢を重ねてくると、ときどき「素」の自分がフラッシュバックしていきます。
決して心の傷ではないのですが、今までミルフィーユ状に重なって積み重なっていた層のうち、上の方の層がいきなり剥がれたような感覚です。
あれっ、以前、そういえば自分ってこんな感覚もっていた。。。。
自分で自分を「普通」にしようと思い、自分の考え方も変えてきたのですが、考え方と普通とは直接結びついていません。
自分のなかにある多数派でない一部をわきまえて、周囲に迷惑かけないように立ち振る舞えばそれでいい。
年齢を重ねると、多くの人は自然と立ち振る舞えます。
ちょっとこわいのは、さらに年齢を重ねたあと。
老人になったときに、その立ち振る舞いがいきなりできなくなるのではないか。。。
まぁいいか、年齢とともに人は変わっていくもの。
法律を侵さなければ、普通の人が別の普通に人に変化しても、おかしくないですな。