男女は必ずしも明確に分かれるものではい、という事実が知られてからそれなりに時間がたちました。
ということは、男らしさ、女らしさという概念も、必ずしも必須ではないということです。
「男性脳」、「女性脳」という言葉があるように、男っぽい考え方、女っぽい考え方は確かにあります。
「男性脳」、「女性脳」の特徴を考えつつ、より人間らしい生き方を探りました。
男らしさと女らしさが人間社会をうまく支配してきた
身体的には、筋力が高いのは男性で、筋力が相対的に低いのは女性であることは、あくまでも平均値ですが、まず間違いないでしょう。
その代わりに女性には子孫を直接的に残せるという「超」能力が備わっています。
中世以降、社会のしくみが発達してくると、社会のなかで役割分担をする方が秩序が保たれると考えられてきたのでしょう。
個人の能力がどうのこうのよりも、男性女性でレッテルを作って、レッテル通りに社会を作る方が、手間が少なくて済みます。
そうやって進めると、確率的にはうまくいくことが多いのも事実なのでしょう。
個人個人の都合は無視して、社会において男は男としての役割を果たし、女は女としての役割を果たすのが、大人としては立派なことなのだ・・・・、と。
男性脳が男らしさを作り、女らしさが女性脳をつくったのか?
しかし、カラダが男だからといって100%男とは限らないし、その逆もしかりです。
男性に多い脳の作りというものがあるようですね、逆に、女性に多い脳の作りもあるようです。
男性脳の典型は、自分のいる場所から目的地を目指すときに、方角を考えながら移動するといった点です。
女性脳の典型は、言葉でのコミニュケーション能力に優れ、他人の気持ちに共感できるといった点です。
男性がすべて共感力がないわけではなく、女性のすべてが方向音痴ではありません。
男性脳、女性脳というのは、あくまでもどちらかの性に多い考え方なので、境界線がはっきりとあるわけではありません。
男性脳が強すぎると、相手の立場に立って考えることが不得意なので相手を悪気なく平気で傷付けてしまう。
女性脳が強すぎると、相手の立場ばかり考えてしまって進めるべき仕事がなかなか進まないこともある。
仕事上でも思い当たりませんか。
男らしさも女らしさも偏ると大変なことになるから少しだけ寄せてみてはどうか?
それぞれの脳の良いところは、男性脳が理論的、女性脳がバランス的などともいいます。
しかし、偏り過ぎると他人とのトラブルが起こることもあります。
男性脳が強すぎる人は、少し女性脳を取り入れる努力をしてみるのが良いです。
相手の立場に立って考えれば手加減することもやさしい言葉で話すこともできますよ。
女性脳が強すぎる人は、少し男性脳を取り入れる努力をしてみるのが良いです。
いろいろあれこれ考えて行動しないよりも自分自身の意思を優先して行動するのが良いです。
考え方、つまり脳は、努力次第で少しずつ変わって行ってくれます。少しずつです。
少しずつという点では、筋トレと同じです。やればきっと成果が出てきます。
筋肉もカラダの一部であるので、脳もカラダの一部です。
変えられないという理由はありません。
人間社会をうまく生きていくためには男性脳も女性脳もどちらも大切
なにごとも行き過ぎは良くありません。
男性も少しおしゃれをしてみればよい、という意味でもありませんし、女性も筋トレすればよい、という意味でもありません。
男がナヨっとするのは恥ずかしいとか、女が大股で歩くのは恥ずかしいとか、そういう意味でもありません。
男性に多い考え方を少し女性が取り入れてみる、女性に多い考え方を少し男性が取り入れてみる、それだけでも、異性の共感を得られる可能性は高くなります。
考え方のバランスが年齢とともに整う人もいますが、その人の脳のなかで起こっているのは、実はこういうことなのかもしれません。
まとめ
カラダについては男女がはっきりと分かれるのですが、脳については必ずしもはっきりと分かれません。
男性に多い「男性脳」の考え方があり、女性に多い「女性脳」の考え方がある、という傾向が存在するだけです。
ひょっとして、男性脳あるいは女性脳のどちらかに自分の考え方が偏っているかもしれない、と気付くことがまず第1歩。
男性脳が強すぎる人は女性脳に少しだけ近づけてみること、女性脳が強すぎる人は男性脳に少しだけ近づけてみること、これが次のステップです。
少し時間がかかりますが、考え方が変わると、以前とは少し変わって世のなかが見えます。