野生動物や昆虫の動きを見ていて思います。特に群れの動きを見ているときに思います。
この群れは、生物全般の原則に従って生きているハズ。。。。ヒトも同じように。
生きた証って何よ?
この世に産み落とされたということは、何らかの使命を持たされたハズ。
ヒトが生物である以上、遺伝子が背負った使命はありますね。
その使命とは何かを考えると、生物学的にはすぐに答えが見つかります。
単純に考えれば、ヒトという生物種の繁栄のため、「子孫を残すこと」かもしれません。
ヒトの繁栄のためには、いろいろなタイプの「ヒト」が世の中にいる必要があり、何らかの病気が蔓延しても、その病気に強く生まれたタイプは、少なくとも生き残る。
そんな理屈です。まぁ、そうですね。恐竜みたいに絶滅したら意味ないので。
では、社会学的にはどうなのでしょう。私は、素人ですから、以下の意見は個人的なものです。
生きた証を残さない生き方はどうなのか
生まれた限り、この世の中でなんらかの「証(あかし)」を残そうと生きています。
最もわかりやすい証が、子孫を残すことです。「証(あかし)」として、こんなにわかりやすいものはありません。
でも、残念ながら子孫を残せないヒトも、昔からいたハズです。
それでも無意識に「証」を残す生き方をしていたのではないでしょうか。
原始の時代では無理ですが、記録を紙に残せる時代になってからは、「証」はいろんな形式で残すことができます。
才能に秀でた人は、後の時代にも影響を与えるような記録を残してきました。
音楽、絵画、学問、などなど、偉人といわれる人々はそうですね。
でも、そんな偉人になる人はごくわずかです。金銭的にある程度裕福でなければ、偉人にもなれなかったと予想します。
一方、今の時代はどうでしょう。紙以外にも、ネット上で何でも記録に残せてしまいます。一般人でも、自分の記録を残せる時代なのです。
いや~、死んだら何もかも無くなってしまうので、灰になって散っていきたい、という意見もあるとは思いますが、それは死んだ後のことです。
生きている限り、自分の命が第一なのです。それが生きる基本です。
ですから、無意識ですが、ヒトはだれでも「証」を残して世を去りたいと思っているハズです。
普段は意識していません。でも、自分が生きてきた価値をカタチに残したいと、どこかで思っているハズです。
生きた証をどうしたら残せる?
その「証」が何なのかは、各人によって違うと思います。
なんでも記録できる時代に生きているのですから、せっかくなので、自分の「証」を残すような生き方をしたいものです。
いずれいつかは、自分のすべてがなくなってしまうのです。これだけは、どんな人でも平等です。
子供の頃に大活躍していたタレントさんが、いつのまにか年をとって亡くなってしまいます。中年以降になって、自分の「証」についてつくづく思うこの頃です。
SNSを使って自己発信できる時代です。あれこれと考えてみる必要がありそうです。