yugusuki’s blog(ゆぐすきブログ)

ウェルネスに興味ある中年男性のいろいろブログです

生きた証を残す生き方

野生動物や昆虫の動きを見ていて思います。特に群れの動きを見ているときに思います。

この群れは、生物全般の原則に従って生きているハズ。。。。ヒトも同じように。

 

生きた証って何よ?

この世に産み落とされたということは、何らかの使命を持たされたハズ。

ヒトが生物である以上、遺伝子が背負った使命はありますね。

 

f:id:yugusuki:20200822170802j:plain

その使命とは何かを考えると、生物学的にはすぐに答えが見つかります。

単純に考えれば、ヒトという生物種の繁栄のため、「子孫を残すこと」かもしれません。

 

ヒトの繁栄のためには、いろいろなタイプの「ヒト」が世の中にいる必要があり、何らかの病気が蔓延しても、その病気に強く生まれたタイプは、少なくとも生き残る。

そんな理屈です。まぁ、そうですね。恐竜みたいに絶滅したら意味ないので。

 

では、社会学的にはどうなのでしょう。私は、素人ですから、以下の意見は個人的なものです。

 

生きた証を残さない生き方はどうなのか

生まれた限り、この世の中でなんらかの「証(あかし)」を残そうと生きています。

最もわかりやすい証が、子孫を残すことです。「証(あかし)」として、こんなにわかりやすいものはありません。

 

でも、残念ながら子孫を残せないヒトも、昔からいたハズです。

それでも無意識に「証」を残す生き方をしていたのではないでしょうか。

原始の時代では無理ですが、記録を紙に残せる時代になってからは、「証」はいろんな形式で残すことができます。

 

才能に秀でた人は、後の時代にも影響を与えるような記録を残してきました。

音楽、絵画、学問、などなど、偉人といわれる人々はそうですね。

 

でも、そんな偉人になる人はごくわずかです。金銭的にある程度裕福でなければ、偉人にもなれなかったと予想します。

 

一方、今の時代はどうでしょう。紙以外にも、ネット上で何でも記録に残せてしまいます。一般人でも、自分の記録を残せる時代なのです。

 

いや~、死んだら何もかも無くなってしまうので、灰になって散っていきたい、という意見もあるとは思いますが、それは死んだ後のことです。

 

生きている限り、自分の命が第一なのです。それが生きる基本です。

 

ですから、無意識ですが、ヒトはだれでも「証」を残して世を去りたいと思っているハズです。

普段は意識していません。でも、自分が生きてきた価値をカタチに残したいと、どこかで思っているハズです。

 

生きた証をどうしたら残せる?

その「証」が何なのかは、各人によって違うと思います。

なんでも記録できる時代に生きているのですから、せっかくなので、自分の「証」を残すような生き方をしたいものです。

いずれいつかは、自分のすべてがなくなってしまうのです。これだけは、どんな人でも平等です。

 

子供の頃に大活躍していたタレントさんが、いつのまにか年をとって亡くなってしまいます。中年以降になって、自分の「証」についてつくづく思うこの頃です。

SNSを使って自己発信できる時代です。あれこれと考えてみる必要がありそうです。