yugusuki’s blog(ゆぐすきブログ)

ウェルネスに興味ある中年男性のいろいろブログです

筋トレと不便な生活と、どっちを取りますか

老若男女、筋トレの重要性を認識していることと思います。

若い人は、良いコンディションを保って見た目も美しくありたいという目的をもって、筋トレに励みます。

年齢を重ねれば、体力維持やケガの防止といった目的で、筋力の低下を防止するために筋トレに励みます。

 

でも、ふと思います。便利な世の中になる以前は、ひょっとしたら普段の生活で日々筋トレをしていたのではないかと。

 

最近の筋トレブームが、便利な生活の負の遺産になっているのではという意見を書いてみます。 

 

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あたりまえに筋トレがある生活

昭和時代の戦後、家電が普及するまえ、家事はほとんどが手作業でおこなわれていたと思います。

掃除をするときも「雑巾がけ」でゴシゴシと、筋力を使ってたかもしれません。

今や「雑巾がけ」は、小学校でもしないのかもしれません。

いまや掃除は、ひょっとしたら掃除ロボットが全部してくれるかもしれません。

 

昭和時代の高度成長期の頃、第二次産業が発展しつつあるとき、製品を生産するにしても手作業が多かったのではないかと予想します。

工場で製品を生産するときにも、原料を運ぶとか、モノを組み立てるとか、それなりにカラダを使う作業があったのではないでしょうか。

すべてオートメーション化されている現代とは、大きく異なっていたかもしれません。

 

ところが、いまやプログラムを組んでしまえばほぼ自動的に機会が動いてくれます。

 

こんな感じで、生活がどんどん便利になる一方で、筋力を使う場面が少しずつ減ってしまったのかもしれません。

 

割と負荷の小さい仕事からは、多くの人が遠ざかっているような気がします。

無意識に筋力を使っていた場面が、どんどん減っているようにも思います。

 

便利の裏返しで筋トレが必須科目に

そうなると、無意識のうちに徐々に筋力が減ってしまいます。

意識的に筋力を付けていかないと、後々大変なことになりかねません。

 

多少運動不足だったとしても、若いうちはすぐに筋力が落ちることもないかもしれません。

しかし、年齢を重ねた人にとって、筋力のが衰えて自分のカラダを支えられなくなるのは、けっこう致命的だと思います。

歩けなくなったら、人生を楽しめる時間がほぼなくなってしまうといっても過言ではないかもしれません。 

 

今や、自分の筋力を維持するには、あえて筋力を付けるような生活を心がけなければいけません。そのためにお金を払ってジムへ行ける人は、少数派かもしれません。

 

意識しなくても筋トレできる生活に戻す?

となると、普段から筋力が付くような生活をすればよいとも思えます。

少し不便な生活をすれば、ひょっとしたら自然と筋力が付いてしまうのかもしれません。

 

極論ですが、筋トレと「やや不便な生活」と、どっちを取りますか