所得が上がらないまま、ついにお隣の国に抜かれたのだとか。
まだまだ追いつかれないだろうと、どこかで油断していたら、いつの間にか先進国のなかで最下位レベルなのだそうです。
統計の方法によってどうにでも評価できそうな気はしますが、でも実際のところ豊かになった気配はありません。
きっと「ゆでガエル」になってたのでしょう。
特に苦痛を感じることもなく毎日は暮らしていけるのです。
コロナ禍のなかでもなんとか普通の暮らしを続けていけた人も多かったのでしょう。
そうこうしているうちに、世界の国と比べたら数字上は豊かでない国になってしまったようです。
幸せは数字で表せませんから、経済指標なんてどうでもいいかもしれません。
ブータンみたいに幸せ感があれば。
しかし、幸せ感は今の日本にあまりないようです。
一部の富裕層だけが元気なのかも。
お金の不足が不幸せに直結するという世の中の状況がおかしいのかもしれません。
多少、お金が不足していても幸せに暮らすことは、以前はできていたように思います。
世界全体がマネーで動くようになってしまい、すべてがお金で廻っている以上、お金をできるだけ稼ぐしかないのかもしれませんね。
そうならそうと、子供にもお金を稼ぐ教育をすればいいのに、学校教育ではいまだにきれいごとばかりのようです。
勉強したからといって必ずしもお金を稼げるわけでもなく、運動や音楽の才能が中途半端にあってもプロにならない限りお金を稼げるわけでもないのです。
自分自身で自分の能力を見極めて、自分の能力で稼げる職業を見つけ出せということでしょうか。
まだ人生の半分も生きてない人に、そんなこと自分で発見できるかな。
どうしても収入の差は生じるので、大半の人はお金持ちではないはずですが、では、お金持ちでないと幸せになれないのか?という疑問もあります。
お金持ちというとお金をため込むイメージになりますが、実は、お金がどんどん動けば動くほど世の中の景気はよくなります。
カネは天下の回りもの、といいますが、今の経済の理屈でいうと本当にその通りです。
ため込まずにどんどん使いながらどんどん稼いで、の繰り返しがもっともよい状態です。
そんな世の中にするのなら、やっぱり終身雇用ではなく、人材が流通するような世の中にしないとダメなのではないでしょうか。
どこかで稼げなくなっても、ほかの場所でいくらでも稼げるという状況であれば、ため込まずにお金を使えるはずです。
GDPを上げるためにお金を使いましょうという前に、自由にお金を稼げる世の中にしておく方が先に必要かもしれません。
そういう私は、副業で稼ぎたくてしょうがありません。
自分の成果が自分のお金になって入ってくるって、学生時代に経験したバイト収入のようにワクワク感があります。
自分の仕事の成果がそのまま給料に反映されず、一部がいつのまにか他人様の給料になっているよりは、よっぽどやりがいがあります。
なんだか愚痴っぽくなってきたのでストップ。