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多様性を認めると、悪気のない嫌がらせが増える?

多様性というキーワードが独り歩きしているかもしれません。

多様性を認めるの意味は、個人それぞれの気質、性質を認めうということ。

 

世の中にはさまざまな考え方の人がいますから、自分にとって少しくらい「変」であっても認めるということです。

 

この線引きが難しい

 

他人に迷惑をかけても平気な人もいれば、決して迷惑をかけまいとする人もいます。

 

ちょっとしたいたずらの気持ちで受けた言動が、自分にとって迷惑行為だった場合、多様性の問題か、ハラスメントの問題か、判断が難しいです。

 

共感力が低い人は、自分がまさか迷惑行為をしていると気づかずに、あるいは、気づいていても大したことではないと思って、迷惑な言動をしているのです。

 

それを受けた本人は、悪気のない人に向かって、嫌という気持ちをいちいち伝えなければいけいません

 

問題行動かどうかの線引きは、受けた人の「嫌」という気持ちです。

法律でしばってくれるかどうか微妙です。

 

犯罪でなければ何をしてもいい、という考え方の人はたくさんいますから、多様性を認めましょう、、、というスローガンのもと、少し勘違いをしている人たちは、自覚なく迷惑な言動を続けてしまうおそれがあります。

 

マジョリティーから見て「少し変」であっても、マイノリティーの考え方を尊重する雰囲気のなかで、多少の問題行動を「ダメ」と否定する勇気はあまりありません。

 

だまってみてしまうのが通常の対処策でしょう。

 

ほんとは、多様性を認めること、および、迷惑行為を黙認することは、まったく違う内容なのですが、ちょっとずれた解釈で、後者の方が認められてしまいそうです。

 

そんな危険性はないのだろうか。