yugusuki’s blog(ゆぐすきブログ)

ウェルネスに興味ある中年男性のいろいろブログです

強い人の定義「普通」の定義とは

一般的に強い人とは、他人に負けない人と思われています。

けんかをしたときに負けないという、わかりやすい例です。

 

さらには、何か嫌な出来事を受けても決してへこたれない人も「強い人」と思われています。

 

では、しょっちゅう相手を打ち負かしている人は、強い人なのでしょうか。

格闘技などでは、負けない人ほど強い人なのでしょう。

 

しかし、一般社会では必ずしも勝ち負けがはっきりしていません。

なので、単純に「勝ち」が多い=良いとはいいきれません。

 

営業成績が良ければ強い人かというと、そうでもないです。

「仕事ができる人」=「強い」とはいいませんよね。

 

一般社会で「強い人」とは、へこたれない人かもしれません。

「強い人」は、一般的にはほめ言葉ですが、反対に「普通の人」とはどんな人なのでしょう。

 

「普通の人」は、もしかしたらほめ言葉ではないかもしれません。

 

多様性の時代ですから、何が普通とはいいきれなくなっています。

多数派の考え方が普通といわれてきたわけですが、多数派はあくまでも多数派であり、「普通」ではないかもしれません。

 

もしかしたら、すべてにおいて「普通」の人は、すべてが「多数派」であり、かなり「つまらない人」かもしれません。

 

でも、少し変わった言動をする人に対して「普通にして」と要求する場合があります。

 

「少数派」の言動を「多数派」の言動に変えてよ!と言っています。

多数派にとっては、普通の方がイライラしませんからね。

 

しかし、あまりにも「普通」だらけだと、つまらない世の中になるかもしれません。

 

多様性を認めるとは、「普通」ではないものを認めること。

そうならば、少数派が存在することを自覚していないと、多様性を認められません。

 

だれでも自分が普通だと思い込んでいますが、普通以外の言動がありふれているとは思っていません。

 

生理的に嫌な言動もあるでしょうけど、少数派を認めなければいけない世の中です。

それならサッサと離れるしかないようですね。

 

自分の言動だって、他人からしたら「普通」ではないかもしれませんから。