一般的に強い人とは、他人に負けない人と思われています。
けんかをしたときに負けないという、わかりやすい例です。
さらには、何か嫌な出来事を受けても決してへこたれない人も「強い人」と思われています。
では、しょっちゅう相手を打ち負かしている人は、強い人なのでしょうか。
格闘技などでは、負けない人ほど強い人なのでしょう。
しかし、一般社会では必ずしも勝ち負けがはっきりしていません。
なので、単純に「勝ち」が多い=良いとはいいきれません。
営業成績が良ければ強い人かというと、そうでもないです。
「仕事ができる人」=「強い」とはいいませんよね。
一般社会で「強い人」とは、へこたれない人かもしれません。
「強い人」は、一般的にはほめ言葉ですが、反対に「普通の人」とはどんな人なのでしょう。
「普通の人」は、もしかしたらほめ言葉ではないかもしれません。
多様性の時代ですから、何が普通とはいいきれなくなっています。
多数派の考え方が普通といわれてきたわけですが、多数派はあくまでも多数派であり、「普通」ではないかもしれません。
もしかしたら、すべてにおいて「普通」の人は、すべてが「多数派」であり、かなり「つまらない人」かもしれません。
でも、少し変わった言動をする人に対して「普通にして」と要求する場合があります。
「少数派」の言動を「多数派」の言動に変えてよ!と言っています。
多数派にとっては、普通の方がイライラしませんからね。
しかし、あまりにも「普通」だらけだと、つまらない世の中になるかもしれません。
多様性を認めるとは、「普通」ではないものを認めること。
そうならば、少数派が存在することを自覚していないと、多様性を認められません。
だれでも自分が普通だと思い込んでいますが、普通以外の言動がありふれているとは思っていません。
生理的に嫌な言動もあるでしょうけど、少数派を認めなければいけない世の中です。
それならサッサと離れるしかないようですね。
自分の言動だって、他人からしたら「普通」ではないかもしれませんから。