戦後の復興で成功したせいでしょうか。
昭和のやり方が正しいと日本はいまだに思い込んでいるかもしれません。
世界が変わってきていることを実感できていないかもしれません。
昭和と異なり変わってきたのは、個人個人の考え方を認める多様性。
昭和のようなまるで社会主義のようなやり方で、画一的に(だから効率的に)人々を動かせる時代は終わったのかもしれません。
だから、新しい時代に適応した方法に変えなければいけない。
理屈ではわかっているのですが、どうしたらよいかわからない。
わかっているとしても、既存のやり方に固執する人たちを動かせない。
「多様性」というキーワードはよく使われますが、まだまだ一人歩きしているだけですね。
「多様性」という1つのキーワードで、すべてのことをひとくくり。
いろんな考え方の人がいるなかで、いろんな考え方を認めながら世の中を動かすのは、かなり難しいですね。
少数派の意見を大切にしろといいますが、民主主義は多数派の意見を選択する制度です。
少数派を大切にしつつみんなの意見を反映するなんて、どうしたらいいのでしょう。
少数派の意見を聞ける人は、共感力が高い人。
共感力を持っている人の方が個人としての魅力は大きいですが、共感力を持っている人は他人様の意見をよく聞いてしまいます。
そうなると、自分の意見を押し通すことが少なくなります。
折衷案を探してしまうといいますか。
なので、他人の意見を無視できる人でないと、多くの人を動かせないかもしれません。
ただ、自分の思い通りにしたいだけで行動する人もいますから、そんな人を信用できない場合だってあるでしょう。
個人個人の意見をすべてかなえるなんて無理なのです。
せめて、個人がやりたいことを邪魔しない雰囲気。それが多様性かも。
個人がやりたいことは、犯罪でない限り、そっと見守る姿勢を持つのが多様性かも。
ピッチャーもバッターも両方実行してプロになってアメリカへ行った有名選手を見ていて、そのように思います。
才能はつぶすものではなく、育てるものです。
人にはそれぞれ、多かれ少なかれいろんな才能の芽があるものです。
才能を育てる世の中が成り立つ、それが多様性の本当の意味なのかな。。。。。